第1回 さわる文化と新型肺炎

■新たな触れ合いのマナー創出に向けて■

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「濃厚接触」という言葉を頻繁に耳にするようになった。ウイルスの感染を防ぐために、濃厚接触を避ける。単純にとらえるなら、一連の肺炎騒ぎは、さわる文化の危機ということができる。しかし、そもそも接触とは何だろうか。かつて人間は「距離」を縮めるために、身体を駆使して対象物に肉薄した。中世・近世に各地を遍歴した琵琶法師の芸能を想起するまでもなく、テレビやラジオがない時代、人々の生活は濃厚接触で成り立っていたともいえる。濃厚接触で人・物に触れる際、そこには暗黙のマナー、触れ合いの作法があった。近代化の「可視化=進歩」の過程で、人類は濃厚接触のマナーを忘却してしまった。

物を媒介として濃厚接触を実践できるのが、本連載で取り上げる「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)である。展示物に直接触れるには、身体を動かし、手を伸ばして「距離」を縮めなければならない。展示物の背後には、それを創り、使い、伝えてきた人々の文化、目に見えない物語がある。なぜさわるのか、どうさわるのか。新型肺炎の流行は、現代社会が濃厚接触のマナーを取り戻す契機となるに違いない。

 感染予防の本義は、万人が消毒に心がけ、ウイルスが繁殖・拡大しないように注意を払うことである。消毒とは自分のためのみではなく、周囲に対する配慮、優しさを示すものだろう。新型肺炎の流行後に開かれるオリンピック・パラリンピックは、どんなものになるのか。2021年は究極の濃厚接触、新たな触れ合いのマナーが創出される記念の年となることを期待したい。さあ、人・物との物理的・精神的な「距離」を縮めるために、一歩踏み出してみよう。伸ばした手の先に、目に見えない豊かな世界が広がっていることを信じて!

■「濃厚接触」のプロとして■

 視覚障害者は「濃厚接触」のプロである。いきなりこんなことを書くと、反発を感じる人もいるだろうか。目の見えない僕が家族・友人といっしょに歩く場合、ごく自然に相手の肘(時に肩)に手を置く。近年、視覚障害者が公共交通機関を利用する際、駅員などによるサポートを気軽に依頼できるようになった。駅員は視覚障害者を誘導する研修を受けており、躊躇なく僕に肘を持たせてくれる。また、点字の触読に代表されるように、視覚障害者は日常生活において、さまざまな物にさわっている。者に触れ、物に触れることを日々繰り返している視覚障害者にとって、「濃厚接触」を拒絶する昨今の風潮は辛い。

 “触”とは、単に手でさわることのみを意味しているのではない。触れる手の先には人がいて、物がある。「触れ合い」(相互接触)という語が示すように、“触”にはコミュニケーション、対話の要素が含まれている。さらに、視覚や聴覚など、他の感覚と異なる触覚の最大の特徴は、全身に分布していることである。足でさわる、背中でさわる、皮膚でさわる……。音を聴く、においを嗅ぐ、食べ物を味わうなども、広義では“触”の一部ということができる。僕は、“触”とは「全身の毛穴から『手』が伸びて、外界の情報を把握すること」と考えている。「身体感覚を総動員して体感する」と言い換えることもできるだろう。

 コロナ禍で人類が「緊急事態」に直面する現在、人と人、人と物の「距離」を取ることが強調されている。これは、ウイルス感染のリスクを避ける意味ではやむを得ない。「距離」を取ることは、視覚優位・視覚偏重の近代的な価値観にも合致する。しかし、僕は「濃厚接触」の本来の意義が軽視・忘却されてしまうことに大きな危惧を抱いている。時代の流れに逆らうことになるかもしれないが、「濃厚接触」のプロである視覚障害者が、“触”の大切さを発信すべきではなかろうか。今、そんな使命感に突き動かされて、この小文を書いている。

■「禍を転じて福と為す」ユニバーサル・ミュージアム構想■

 2020年9月~12月、国立民族学博物館(民博)で特別展「ユニバーサル・ミュージアム-さわる!“触”の大博覧会」、および企画展「見てわかること、さわってわかること-世界をつなぐユニバーサル・ミュージアム」が同時開催される予定だった。僕は2009年度に科学研究費を獲得し、全国の博物館・美術館、大学関係者に呼びかけて「ユニバーサル・ミュージアム研究会」を組織した。現在、この研究会のメーリングリストには100名ほどが登録している。定期的に共同研究会を行い、ユニークなワークショップも企画・実施してきた。今回の特別展・企画展は、この研究会の活動の集大成とも位置付けられる大事業である。

 ところがコロナ禍により、20年4月、この展示の延期が決まった。正直、20年秋をめざして調整を続けてきたので、実行委員長である僕のショックは大きい。とはいえ、人や物との接触を回避しようとする社会状況の中で、大々的に“触”を掲げる展覧会を開くのは難しい。むしろ1年延期し、落ち着いた環境の下で、“触”の意義、「濃厚接触」の大切さを再確認できるような展覧会を具体化する方が賢明なのではないか。今は21年に向けて気持ちを切り替えている。

■視覚優位の近代文明■

 僕が民博に就職したのは2001年である。民博は民族学・文化人類学の研究機関で、大学院大学も併設されている。採用が内定した時、僕の中には日本史の研究者としての達成感、今後のプランがあるのみで、博物館で働くという意識はあまりなかった。僕は学生時代に博物館学の勉強をしたことはなく、学芸員の資格も持っていない。博物館に就職したのは偶然である。

 民博に着任するまで、僕の生活にとって博物館は縁遠いものだった。盲学校在学中、遠足、修学旅行等でさまざまな施設を訪ねたが、博物館に関する思い出はほとんどない。大学入学後、現代アートの展覧会で彫刻作品に触れる体験を楽しんだことはあるが、そういった機会はさほど多くなかった。大学院生のころ、聞き取り調査で各地の郷土資料館を訪問した。ただし、僕の調査は人と話をするのがメインで、展示資料にさわることはなかった。当時の僕の素直な印象は、「博物館=さわれない=つまらない」である。「見学」を原則とする多くの博物館において、視覚障害者は「想定外」の存在だったといえるだろう。

 そもそも、ミュージアムとは近代文明のシンボルである。国家・為政者、あるいは素封家の権威・権力を視覚的にアピールする目的で、近代化の流れとともに、各地にミュージアムが設立された。近代社会では、「より多く、より速く」という価値観が重要視される。人間の五感の中で、大量の情報を瞬時に伝達できるのが視覚である。近代の視覚優位・視覚中心のトレンドは、博物館の成立・発展にも多大な影響を及ぼしている。古今東西、博物館は「見る/見せる」ことを大前提とする文化施設なのである。

■近代的な人間観、ミュージアムの常識を覆す■

 幸か不幸か、そんな博物館に全盲の僕がたまたま就職した。率直に言って、場違いである。当初、僕自身も博物館活動よりも、研究論文を書く方を重視していた。就職から20年ほどが過ぎ、今では自他ともに認める博物館の専門家になっているのだから、「先が見えない」人生とはおもしろい。

 2001年当時、博物館は「冬の時代」を迎えており、何処も来館者数が伸び悩んでいた。ピンチはチャンスだといわれるが、どうすれば来館者数を増やすことができるのかという発想から、「人に優しい博物館づくり」がクローズアップされるようになった。今まで博物館に来ることができなかった(できにくかった)人々に注目しよう。そうすれば、結果的に来館者数アップにつながるだろう。こういった考えに基づき、「人に優しい博物館づくり」では外国人・高齢者・障害者への配慮・支援が取り上げられた。個別のバリアフリー(障壁の除去)ではなく、ユニバーサルデザインの理念で、包括的に来館者サービスを向上させるべきだという意見も出されるようになった。

 民博着任直後の僕も、館内の教職員の協力を得て、点字パンフレットのリニューアル、広報誌の音訳版(録音版)発行などを提案・実現した。点字パンフレットや音訳雑誌は、視覚障害者向けのバリアフリー対応といえるだろう。僕の中には、自分と同じ立場の視覚障害者が、もっと気軽に博物館に来ることができる環境を整備したいという思いがあった。こう書くと優等生っぽいが、視覚障害者を歓迎する博物館が増えれば、僕自身も楽しめるではないか。じつは、自分が日本全国、そして世界の博物館を訪ねてみたいというのが本音だった。

 障害者といっても、視覚障害・聴覚障害・肢体不自由・知的障害などなど、その特性とニーズは多様である。「ユニバーサル」はめざすべき理想だが、どこから、どのように着手すればいいのかが難しい。それならば、博物館の「見学」がもっとも困難な人、視覚障害者への取り組みを充実させることから始めよう。「博物館と視覚障害者」というテーマを掘り下げていけば、近代的な人間観、ミュージアムの常識を覆すことができるに違いない。こうして、僕の博物館活動がスタートした。

■「人に優しい」から「人が優しい」へ■

 21世紀に入るころから、「人に優しい博物館」の含意で、「ユニバーサル・ミュージアム」という語が用いられていた。ユニバーサル・ミュージアムは和製英語である。バリアフリー、すなわち障害者や高齢者などへの個別の施策ではなく、広い視野で来館者サービスを普遍的・総合的にとらえていくべきだという姿勢に、僕も大いに共鳴した。

 しかし、「人に優しい」という表現には違和感があった。少しひねくれた言い方になるが、「人に優しい」で用いられる「人」とは誰だろうか。そこには、健常者(多数派)が障害者(少数派)に対して優しいという図式が見え隠れする。健常者の「上から目線」というと言い過ぎだろうか。僕は、「してあげる/してもらう」という一方向の人間関係を打破するのが「ユニバーサル」の真意だと考えている。そこで、ユニバーサル・ミュージアムの日本語による説明として、「誰もが楽しめる博物館」を使うことにした。この定義には、障害者も健常者も対等な関係で博物館を楽しもう、楽しむことができるという僕の願望、信念が凝縮されている。

 ほぼ同時期に、「人に優しい」への批判の意を込めて、僕は「人が優しい」というフレーズも使用するようになった。博物館に集うすべての人が優しい。物に対しても、者に対しても優しい。そこには優劣・上下がない。「人が優しい」に拒否感を抱く方はいないだろう。優しい人を育む生涯学習・社会教育の場として、博物館の役割を引き続き訴えていきたい。

次回は5月26日更新予定です。
この連載をもとに、2021年へと開催延期になった国立民族学博物館のユニバーサル・ミュージアム特別展に向けた動きや、世界中から集められた民族資料と「濃厚接触」して世界を感触でとらえた記録なども付け加えた書籍を、小さ子社より今夏刊行します。ご期待下さい。

このWeb連載が本になりました!

広瀬浩二郎『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!』
2020年10月27日刊行

「濃厚接触」による「さわる展示」・「ユニバーサル・ミュージアム」の伝道師として全国・海外を訪ね歩いてきた全盲の触文化研究者が、コロナ時代の「濃厚接触」の意義を問い直す。

2020年5月~7月に公開されたWeb連載に大幅加筆。

さらに、中止になった幻の2020 年 国立民族学博物館企画展「みてわかること、さわってわかること」より、民博所蔵資料60 点をカラー写真で紙上展示。著者の触察コメントを付す。

本体価格1,500円

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