自然・生業・自然観 ―琵琶湖の地域環境史 ― はじめに 橋本道範  人類はかつて経験したことのない人口の爆発と短時間での環境の劇的な変化に直面し、揺らいでいる。フランク・ユーケッターによれば、ドイツにおいては一九八〇年代になると環境意識が環境問題に積極的な人々だけがもつものではなくなり、ついには誰もが心を動かさずにはいられない生活感情の一部になったという(ユーケッター 二〇一四:五五)。それは他の国でも同様ではなかろうか。もちろん、「環境問題」は古代ギリシャにおいてもあったし、紀元前四世紀の中国大陸にもあった(ヒューズ二〇一八)(注1)。しかし、二〇世紀以降のこの激変はグローバルなものであり、人類全体の生存を脅かす恐れさえあるため、誰もが目を背けることができない問題であると世界的に認識されたのである。  その結果、過去における人間と自然との関係性を賛美したり、非キリスト教世界における人間と自然との関係性を美化したりするような言説が満ち溢れるようになった。過去の人々、あるいは、非キリスト教世界の人々は自然に対し、「賢明な利用」をしていたというのである(湯本ほか編二〇一一など)。そして、徳川日本は、資源が完璧に再利用される循環型社会として先進事例とされるようになった(鬼頭 二〇一〇:三一二、二〇一二:一六など)(注2)。しかし、その一方で、日本列島の前近代社会であっても自然改造の結果抱え込んださまざまな矛盾や難問に人間が悩み続けてきた事実が明らかにされ始めている(水本二〇〇三:〇九九など)。日本近世においても「環境問題」は存在していたという立場といってよい。このような自然と人間との歴史的関係性に関わる言説の極端な揺らぎを克服するためには、言説に揺るがない学術的に確たる実証研究が必要であり、二〇三〇年に向けた世界的な目標から考えても、それは喫緊の課題である。本書はここから出発する。  その際、本書では、一九七〇年代にアメリカ合衆国において生まれた Environmental History(以下、「環境史」とする)という学際的な研究が世界的な潮流となったことに注目する。なぜなら、環境史を早くに日本に紹介した科学史家中山茂が述べるように、環境史は「既成歴史叙述に対決する新しい総合を要求する」もので(中山 一九八二:一六二)、日本列島の歴史を叙述する際においても、この「対決」と「総合」はもはや避けて通ることはできないと考えるためである(注3)。環境史は次の三つをテーマとすると整理されている(ヒューズ 二〇一八:三四、傍線は橋本、以下同じ)。 (1)人間の歴史に対して環境要因が与える影響 (2)人間の活動に起因する変化や、環境において人間が引き起こした変化が跳ね返り、人間社会の変化の道筋にもたらした様々な影響のあり方 (3)環境に関する人間の思想の歴史そして人間の行動様式が、環境に影響を与える行為をどのように動機づけてきたか  自然と人間との双方向の働きかけを総体として捉えるのが環境史であるとしてよいであろう。論者は環境史の本質は人間中心主義批判にあり、環境決定論とそれに対する批判とのせめぎ合いのなかで営まれている学問的営為と考えるが(小塩 二〇〇三:二九六、橋本 二〇一六:四三-四六、橋本 本書終章)、当初、人間中心主義に対置された生命中心主義の破綻が露わになったため、「環境史の問題提起はその根底において人間中心主義的な考え方から逃れることはできない」というコンセンサスができあがっている(ユーケッター二〇一四:五)。また、研究方法が人間中心的なものであることも避けられない(ヒューズ二〇一八:四)。したがって、本書では、文理の枠を超え た諸学統合的環境史の構築を目指しながらも、人間の自然への働きかけを軸として叙述することとし、そのなかでも、とりわけ「生業」と「自然観」に焦点を絞ることとする。  すでに述べたように(橋本二〇一六:五七)、生業とは、日本語としては「生活するための仕事」であるが(『日本国語大辞典 第二版』)、人類学で議論される subsistence activityの訳でもある。例えば、人類学と近縁な考古学では、「人類が生存していくために周辺環境からエネルギー源や栄養素などを得る主要な戦略のことで、野生動物や海獣類の狩猟、腐肉の入手、漁撈、貝類の採取、野生動物の採集と栽培、集約的な農耕、さまざまな動物の飼育・牧畜などの経済行為」と説明される(山本二〇〇四:二六九)。また、民俗学でも「生業とは生計を維持するために行われる生産活動のことで、職業や家業が指し示す所得形成を念頭においた活動よりも幅広く、現金収入に直接結びつかない活動でも日常生活を支える上で欠くことのできない活動をも含んでいる。また個人や家を単位とした労働行為をいう場合が多く、この点でも産業と区別されるものである」と整理されている(小島 二〇〇一:三一)。ところが、日本中世史分野において生業史論を確立させた春田直紀は、竹内静子の山村労働に関する分析を参照して(竹内一九八九:四七)、生業を「「自然のもつ多様な機能から労働・生活に役立つ価値をひきだす」行為」と定義した(春田二〇一八:九)。ここにおいて、生業史論は〝自然に対する価値付け〟、すなわち、自然観という論点を内包したのである。本書においてもこの定義を継承し、これを基点として二つの観点に留意しつつ個別の議論を展開する。その一つ目の観点は、「自然観」に関するものである。これは、ヒューズが指摘した三点のうち、(3)のテーマに相当すると考える(傍線部)。そして、自然観とは、鈴木貞美によれば、以下のとおり定義されている(鈴木 二〇一八:五七)。(注4) <以下引用> 自然観は、対象的自然を人間の精神活動 ―目・耳・鼻・口・皮膚の五官(視・聴・吸・味・触)を通して感受し、それらを統一した映像(image)に結び、快・不快や喜怒哀楽などの感情を覚え、それらを記憶し、自分にとっての意味や価値を認識、判断し、自然にはたらきかける願望を抱き、それを実現する意志 ―の全般を言う。 <以上引用>  終章でも触れるが、自然観をめぐる議論を「自然観論」とすれば、これまでの自然観論は大きく二つに整理されると考えている(橋本二〇二一)。一つは、渡辺正雄に代表される「科学史的自然観論」である(渡辺一九七六)(注5)。「古来、日本人には日本人の自然観があり、西洋人には西洋人の自然観があった」とするもので、「自然を伴侶とし、自然の中に没入し、自然とひとつになろうとする日本人の伝統的な自然観」といった論調である。その特徴は、日本とヨーロッパ・キリスト教世界の自然観の対比にある。それは寺田寅彦(一九四八)、リン・ホワイト(一九九九)、渡辺から、伊東俊太郎編『日本人の自然観 ―縄文から現代科学まで ―』(一九九五)等を挙げることができる。しかし、本書ではこれらを採用せず、むしろ克服の対象とする。その理由は事実でもって本書で示す。  もう一つは、鈴木が「人文系の自然観」として整理するものであるが(鈴木 二〇一八:七七-一二九)、鈴木の議論は思想史、文学史、宗教学に偏っており、これに安室知(二〇一六)に代表される「生活世界の自然観論」を加えるべきである。安室によれば、自然観とは、「いわば自然との付き合い方の技法、または人による自然の解釈の仕方であり、その描き方である」ということになる。そして安室の研究は、もっとも基本的な自然との付き合い方である分類と命名の研究に進むのである。これはあくまで人間中心主義の自然観論である。  それらに対し、鈴木の自然観の定義は、上記とは異なる第三の自然観論であると解釈している。それは、五官、映像、感情、記憶、認識、判断、願望、意志を問題としており、生物である人間の自然観を定義したものといってよい。したがって、人間中心主義を批判して生命中心主義を志向する環境史に相応しい生物学的な(極論すれば生理学的な)自然観の定義であると考える。そして、ここでもやはり価値付けという点が問題となっている(傍線部)。本書ではこの鈴木の自然観の定義を採用し、生業を動機づけるものとして、この自然観の本質とその転換原理に迫りたい。  その際、特に、環境史と同じ課題を背負って登場した文学評論、 Ecocriticism(以下、「エコクリティシズム」とする)の議論を重視する(注6)。なぜなら、エコクリティシズムが強調するように、前近代の日本列島においては、自然は徹底的にコード化されており、現実の自然との間にはギャップがあったからである(シラネ 二〇一〇:一〇〇、シラネほか 二〇一一:一六、一八)。したがって、価値をひきだす行為である生業の前提には、この「コード化された自然観」、すなわち、自然に付与された約束ごと(tropes)があったのであり、とすれば、その脱構築こそが生業を動態的ならしめる要因となっていたのではないだろうか。論者が主張する、よりコンパクトで身近な「ムラ」に結集して限られた自然をより効率的に利用する「生業の稠密化」(橋本二〇一五、橋本 本書終章)も、この「コード化された自然観」の脱構築が原動力になっていた可能性があると考えている。次に、二つ目の観点は、「地域」に関するものである。生業は、グローバルな市場とも結びつくが、あくまで地域の自然に密着したものである。多くの環境史研究がいまだ一国環境史にとどまっているなかで、「地域環境史」は新たな挑戦であると考えている(橋本二〇一六)(注7)。  その地域であるが、人文学においては、客観的に存在するものではなく、あくまで主体である人間が選び取るものとされてきた(板垣一九九〇:六)。それは、「伸び縮みする場」であり、国家の枠組みを相対化するものである(柴田一九九〇: ⅵ)。しかし、人間中心主義を批判する環境史の立場に立てば、〝自然が選択した地域〟といえるBiogeographic region(生物地理区)もまた重要である(渡辺 二〇一八)。  琵琶湖とその集水域からなる「琵琶湖地域」は、地殻変動や気候変動など地球科学が扱う自然についていえば、およそ四〇〇万年前に現伊賀盆地付近に成立した水塊が沈降によって移動しつつ、およそ四三万年前に現在の琵琶湖の位置で安定して成立した地域である(里口二〇一八)。また、その一方で、およそ一八〇万年前に琵琶湖東方の鈴鹿山脈が隆起し、およそ四〇万年前に琵琶湖西方の比良・比叡山系の隆起が活発化して盆地となったことも重要である(注8)。  一方、植生や魚類相など生態学が扱う自然についていえば、琵琶湖地域には報告されたものだけで二三〇〇種以上の動植物が生息しているが、そのうち六六種は琵琶湖地域のみに生息している固有種とされている点が重要である(西野二〇一七:三八)。これらには、亜種と変種が含まれている。そのうち貝類は二九種、魚類は一六種で、両者あわせて固有種の七〇%を占めている(西野二〇一七:三八)。魚類に関して言えば、一〇万年前には、ほぼ魚類相が安定した状態となることがDNA分析の結果明らかとなっている(Tabata et al. 2016)。  このように、琵琶湖地域には自然が選び取った〝地域固有の自然〟が存在している。では、それに呼応する、環境が決定した〝地域固有の自然観〟はあったのであろうか。琵琶湖地域を舞台に、生業の解明を基軸としつつも、環境決定論にはならない、第三の自然観論を提起することが本書の最終的な目的である。  本書は、一二人の共同研究者と三人の共著者によって執筆されている。  まず、「第一部 自然と自然観」では、地震と地震観、植生と用材観、魚類相と魚類観、ヨシとヨシ地観、ウ属と動物観とにわけて、「自然そのもの」と自然観のあり方とを検討している。  第1章では、保立道久(歴史学)が、琵琶湖地域における地震と地震観について検討している。「畿内トライアングル」と呼ばれる脆弱な地震構造のなかに位置している琵琶湖地域は、巨大な地震に繰り返し見舞われてきた。そこで、まず、南海トラフ地震の周期に注目し、従来局地地震とされていた九七六年の地震が南海トラフ地震であった可能性を指摘する。また、七四五年の美濃地震、一一八五年の近江山城地震、一五八六年の近江若狭地震から、それとは別に「近畿東北部大地震」と呼ぶ地震が四〇〇年~五〇〇年の周期をもって襲ったとする仮説も提示した。その上で、このような繰り返される地震のあり方が、龍が地震を起こすという言説と関わっていた可能性を指摘している。  第2章では、小椋純一(植生史)が、琵琶湖地域における一九世紀半ばの植生のあり方を検討している。「琵琶湖眺望真景図」(大津市歴史博物館所蔵)と「琵琶湖真景図」(滋賀県立琵琶湖博物館所蔵)という二つの絵画資料を分析し、両者が別の作者によるものであるとの理解を示した上で、地形については正確に写されており、植生についても正確であった可能性があることを指摘した。その上で、一九世紀半ばの琵琶湖地域の丘陵や山地にはほとんど植生がない一方で、平地には比較的高い木々や竹林が描かれていることを確認した。  第3章では、藤岡康弘(水産学)が、明治以降一三一年間にわたる「滋賀県統計書」を利用して漁獲魚種と漁獲量から魚類観を検討している。漁獲量の変化を種毎に見ると、一九七〇年代の内湖の干拓で漁獲されなくなった種もあるが、ウナギ・コイ・フナ(三種)・アユ・ビワマス・スジエビやセタシジミなど一四類種は、ほぼ一三一年間にわたり漁獲が続いてきた種類であった。そして、これらのほとんどは縄文時代の粟津湖底遺跡の貝塚から出土した生物種と一致していた。これを踏まえて、琵琶湖に生息する在来生物の中で人々が嗜好し、経済価値を見出してきた種は時間を経てもほとんど変化していないと結論づける。  第4章では、東幸代(歴史学)が、ヨシ帯をめぐる江戸幕府と個別領主(彦根藩)と百姓との自然観の相克を検討している。高い経済的価値をもつヨシを生み出すヨシ地は、百姓にとっては屋根材や漁具、肥料といった生活財を生み出す場であり、ヨシ地消滅の危機は、生活の危機でもあった。ところが、ヨシ地を単なる水陸移行帯と捉える江戸幕府はこれを新田開発対象地として見るようになる。新田開発が価値観の相違を鮮明にし、結局は幕府の論理が貫徹されることを明らかにしている。  そして、最後に第5章では、亀田佳代子(生態学)ほかが、琵琶湖地域の竹生島と愛知県の鵜の山というカワウの繁殖地(コロニー)のある森林を対象に、森とカワウと人間との関係性の歴史的経緯について検討している。信仰の島である竹生島では、一貫して森林の価値は景観にあったため、その価値を劣化させるカワウの存在は受け入れられなかったのに対し、鵜の山は資源を得るための森林であり、カワウの糞は肥料となり、地域の人々に「供給サービス」を提供していた。そして、鵜の山では糞採取を行わなくなった後もカワウを観光資源や町のシンボルとみなしており、カワウによる生態系サービスが「文化的サービス」に転換したことを明らかにしている。  「第二部 「ムラ」と自然観」では、どのような自然観と関わり合いながら現在に繋がる自治組織である「ムラ」が形成されるのかについて検討している。  第6章では、瀬口眞司(考古学)が、縄文時代から弥生時代にかけての集団規模の拡大や集団構造の複雑化のあり方を検討している。その結果、環境利用の稠密化が顕在化したのは、弥生時代中期後半だとの結論に至る。分離・分散しがちな世帯の遠心性に対してブレーキが浸透し、それに伴って集約的な労働が進行した結果、環境利用の稠密化が本格化したと考察している。  第7章では、苅米一志(歴史学)が、中世における琵琶湖・淀川水系の漁撈と生業複合について検討している。「御厨」は高価値の魚種を捕獲する特殊漁法を保持することを標榜し、特権を主張するが、その内部には水草採取・農耕・舟運が複合的に存在していたこと、そして、河川など高流速部と湖沼などの沿岸部・滞留部における漁法を比較検討し、他の漁撈集団との棲み分けがなされていることを明らかにした。沿岸部・滞留部における雑多な漁撈や鳥猟、水生植物の採取および農耕は、複雑な複合生業暦を生み、そのことが、権力や外部における嗜好性の変化に対応可能であった理由であると結論づけている。  第8章では、鎌谷かおる(歴史学)が、近江国滋賀郡本堅田村(現滋賀県大津市本堅田)の村役人の業務日誌に記された「御田地植付目録」を事例に、洪水等の災害時の田地への被害が「ムラ」の中でどのように捉えられていたのか、また、土を盛るということについて、当時の人々がどの程度の知識や経験をもっていたのか検討している。恒常的に水が入る田地への対策として畝上・畦田という対策が取られ、この盛土という対策へ次第に方向転換していくことを推測している。  第9章では、春田直紀(歴史学)が、中世惣村の一つである近江国得珍保今堀郷(現滋賀県東近江市今堀町)の集落内部における森林生態系の形成と惣掟(村落定書)に投影された自然観について検討している。水が乏しく近隣に山地をもたない段丘面に立地する今堀は、平地村でも人々が集住して暮らすことが可能なように一五世紀に集村化して、耕地の客土・堆肥原料や用材を供給する森林を集落空間に配置した。そして、土・草・木の資源利用については共同体(惣)の強い管理下におくために惣掟を定める。このように限定された空間内で持続的に資源を利用していくためには、多様な資源の有機的な連関を踏まえ、資源の維持・管理が公私の所有地を問わず図られていく必要がある。こうした「公共」的課題に向けての合意形成において、生業に基づいた自然観が果たす役割、即ち、生態資源の性質を利用目的に即して細分化して認識し、それに基づき資源利用の有無を選択することが「ムラ」において重視されるようになると指摘している。  第10章では、市川秀之(民俗学)が、琵琶湖地域の日吉系祭礼にみえる自然観を検討している。日吉系祭礼は、生活の場とする空間を祝祭して活性化する儀礼と考えられるが、比叡山領・日吉大社領荘園への勧請や、日吉信仰の広がりによって日吉社は各地に多く建立され、日吉山王祭の祭礼構成も各地に移された。しかしながら、それぞれの日吉社の鎮座地には自然環境や生業に地域差があるため、祭礼構成はそれに適合した形で導入されている。また、相互に連動しあって生起する地形変化や災害、開発などの影響をうけて、変化を遂げる。そして、日吉神社の祭礼にも他の祭礼要素が導入されるようになり、祭礼は勧請元の神社の祭礼やその土地の自然観だけではなく、近隣の神社祭礼の影響や、時代による流行なども加味された形で変容していくことを明らかにしている。  第11章では、中村(澤邊)久美子(景観生態学)が、半自然草地(人為的な攪乱により成立する草地)を対象に、カヤネズミの生息に適した草地管理について検討している。琵琶湖地域の九七草地で営巣数と刈取り頻度を調査した結果、年四回以上の刈取りでは本種の営巣数が少ないことが明らかとなった。また草地利用の聞き取り調査から、現在でも利用されている二地域では、他地域の人々が耕作放棄地を茅葺屋根の材料調達のためにカヤ場として利用していた。このように、琵琶湖地域では耕作放棄地が他地域の人々による新たなニーズに応じて活用される事例が起こっており、今後、新たな草地利用、草地管理の仕組みとして、他地域からのニーズと地元住民とを繋ぐことが重要であると主張している。  そして、以上を踏まえて終章では、橋本道範(歴史学)が、中世の琵琶湖地域を対象に、自然と自然観、「ムラ」と自然観、そして、〝人間の「自然観」の本質はどのようなものであり、どのような原理で転換するのか〟について論じている。  本書の結論はここでは述べない。本書は通史ではなく、また、専門家を対象としたものとなったため、用語など難解な点もあるかと思う。しかしながら、「はじめに」から最後の結論まで、全体を通してご批判をいただければ幸いである。 注 (1)この点については、浅野(二〇〇五)が極めて重要である。 (2)但し、鬼頭は江戸時代を美化することへの警鐘も鳴らしている。(3)かつて、環境史は歴史学の一分野史か否かという議論があった(篠原 二〇〇四:五五-六一など)。論者はこれまで揺れてきたが(橋本二〇一六:四五)、いま、環境史は歴史学を含む諸学統合の研究潮流であると確信している。 (4)この文献については、平岡隆二氏のご教示を得た。 (5)以下、引用はこれによる。 (6)ハルオ・シラネによれば、 Ecocriticismとは、「異なる文化において自然あるいは自然的なるものの概念がどのように構築され、さまざまな文学的行為を通して表現されているかを検証する」ものである(シラネ二〇一〇:一〇〇)。 (7)北米大陸における一国環境史を超える試みについては、小塩(二〇一七)参照。 (8)琵琶湖博物館の里口保文氏のご教示による。 参考文献 浅野裕一  二〇〇五『古代中国の文明観 ―儒家・墨家・道家の論争 ―』東京:岩波書店。 板垣雄三 一九九〇「序章」『シリーズ世界史への問い8 歴史のなかの地域』東京:岩波書店:一-一四。 伊東俊太郎編 一九九五『日本人の自然観 ―縄文から現代科学まで ―』東京:河出書房新社。 小塩和人 二〇〇三『水の環境史 ―南カリフォルニアの二〇世紀 ―』東京:玉川大学出版部。 小塩和人 二〇一七「環境史研究 ―第一世代の成果と第二世代の挑戦 ―」『アメリカ史研究』四〇:二五-四五。 鬼頭宏 二〇一〇『日本の歴史⑲ 文明としての江戸システム』東京:講談社、初出は二〇〇二年。 鬼頭宏 二〇一二『環境先進国 江戸』東京:吉川弘文館、初出は二〇〇二年。 小島孝夫 二〇〇一「生業Ⅰ(農業・漁業・林業・狩猟・その他)複合生業論を超えて」『日本民俗学』二二七:三〇-三七。 里口保文 二〇一八『琵琶湖博物館ブックレット ⑦ 琵琶湖はいつできた ―地層が伝える過去の環境 ―』滋賀:サンライズ出版。 柴田三千男ほか 一九九〇「刊行にあたって」『シリーズ世界史への問い8 歴史のなかの地域』東京:岩波書店:ⅴ-ⅵ。 篠原徹 二〇〇四「環境史は可能か ―生活世界の視点から ―」『歴史評論』六五〇:五五-六一。 ハルオ・シラネ 二〇一〇「四季の文化 ―二次的自然と都市化 ―」北村結花訳、『水声通信』三三:九九-一一五。 ハルオ・シラネほか 二〇一一「座談会 環境という視座」渡辺憲司ほか編『環境という視座 ―日本文学とエコクリティシズム ―』東京:勉誠出版。 鈴木貞美 二〇一八『日本人の自然観』東京:作品社。 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