<このファイルの説明 ここから> このファイルでは、写真挿入箇所や「みだし」などの本文テキスト以外の情報について、< >でくくって表しています。 <このファイルの説明 ここまで> <書名 ここから> 盲教育史の手ざわり―「人間の尊厳」を求めて―(ためし読み) <書名 ここまで> <著者名 ここから> 岸博実(きしひろみ) <著者名 ここまで> <大みだし> はじめに 1974年に京都府立盲学校で働き始め、2010年に退職した後も、講師として授業を担当する傍ら、京都盲啞院以来の文書や教具を収めた資料室の業務に携わってきました。学校内外の支援と協力によって、2018年に、京都盲啞院関係資料が国の重要文化財に指定されました。 1878(明治11)年の創業以来、先人の長い努力によって、日本の視覚障害者の教育、福祉、労働、文化に前向きの変化があったことは間違いありません。しかし、21世紀に入ってから「自立・自助」策の下で縮小や後退が生じているようなのが気になります。 盲学校の場合、特別支援教育という新しい枠組みのなかで、校名が変わったり対象障害の複数化がなされたりしてきました。これからの教育や福祉をどうデザインすればいいのでしょうか。史実を豆知識や展示品に止めず、より深く掘り起こし、今後に生きる何かを引き出しておく必要が増しているという思いを強くしています。 本書は、2011年から2019年まで『点字毎日』新聞に執筆・連載した「歴史の手ざわり・もっと!」に加筆したものです。主として、京都盲啞院関係資料の手ざわりを伝え、それらが語りかける言葉に耳を傾けてみるという進め方になるでしょう。他の盲学校や施設で出会った宝石のような史料もご紹介します。2012年に発足した日本盲教育史研究会の取り組みと多くの研究者の業績に学ばせていただきました。 現存しないと考えられてきた出版物、埋もれていた文章も紹介します。明治初期から戦後までをおおよその期間としつつ、できるだけ時空を広げ、あまり脚光を浴びて来なかった人にも焦点を当ててみましょう。目の見えない生徒たちが「手指で、あるいは体全体で、じっくりと触って世界を楽しむ」姿にヒントを得た連載タイトルでした。 さて、次の三つは、それぞれ、いつ、何に書かれたものだとお思いですか? ①「盲啞もまた一般普通の児童と共に、国家の教育を受くるの権利ある」 ②「小学校の運動会に招かれ、共同と競争す」 ③「共同作業場を設く」 実は、①と②は、1905(同38)年に書かれた文章です。①は『読売新聞』4月12日付に載った東京盲啞学校長・小西信八(のぶはち)の談話の一句。「権利としての教育」を求める努力がすでに始まっていたのです。②の出典は、『京都盲啞院日誌』10月25日付の記事。耳の聞こえない生徒4人が京都市第一高等小学校の運動会に参加したというのです。学校の枠を超えた交流が早くも行われていました。「共同」と「競争」の並列が印象的です。③は、1913(大正2)年の『京都日出新聞』3月14日付の記事。京都市立盲啞院の第二代院長であった鳥居嘉三郎(かさぶろう)が、盲啞保護院を創るというニュースです。「共同作業」という用語も登場します。100年以上も前の言葉たちです。 近年、インクルーシブをめざす検討がなされてきました。「社会モデル」に基づく障害理解、「合理的配慮」の具体化が求められます。その根が、「人間の尊厳」を探し求めた日本盲教育史の歩みの中に有ったことを確かめ直し、地についた方針に編んでほしいと願います。 本書全体の補助線として、近・現代を中心に、我が国の視覚障害教育史をかいつまんでおきましょう。 中世期には、琵琶に合わせて平家を物語る盲人集団が活躍し、当道座(とうどうざ)を結成していきます。近世期には、琴・三味線の演奏や鍼灸(しんきゅう)あん摩(ま)に従事する盲人たちが、音楽と医術を発展させました。当道座は徳川幕府から一定の自治権を認められます。塙保己一(はなわほきいち)は『群書類従』を編纂しました。杉山和一(わいち)は、鍼治療を革新して盲人の適職に定着させ、「鍼按(あん)の学校」を開設します。それは、世界初の盲学校とされるパリ訓盲院の発足より約90年も先んじた営みでした。 近代日本の教育制度は、「学制」発布に始まります。障害児のための「廃人学校アルベシ」とはされましたが、国が率先実施することはありませんでした。まず、東京と京都で盲院・啞院の創設が構想されましたが、政府の無理解や財政基盤の乏しさのため、いずれも発足時もしくはその直後に「盲啞併設」型にならざるをえませんでした。それはあくまでも「便宜的な」措置でした。 その後、盲啞学校、盲学校、聾啞学校は、全国各地で、宣教師・クリスチャン、仏教徒、教育者などによって続々と私設されます。学校数は、1908(明治41)年に40校を数えました。しかし、1912(大正元)年になっても在籍する盲生は全国で1600人でした。その10年後にも学齢盲・聾児の就学率はわずか12パーセントにとどまっていました。 障害や指導法の違いなどに着目して「盲・啞分離」をめざす全国規模の運動が1906(明治39)年に勃興しました。このとき、盲・聾教育の義務制実施も要求されます。1923(大正12)年にいわゆる「盲啞教育令」が公布され、「義務化」・「盲と聾啞の分離」規定が盛り込まれたものの、国レベルでの予算は配当されませんでした。長く続いた軍国主義の下、この課題は等閑視され、「義務化」と「分離」が本格的に実施されたのは、敗戦後の1948(昭和23)年以降でした。 京都盲啞院も東京盲啞学校も、創立時には点字(Braille)を導入しませんでした。その存在と有意性を知らなかったのです。盲生用の文字としては、凸字(とつじ)を利用しました。1890(明治23)年11月1日に、ルイ・ブライユの方式に基づく「日本訓盲点字」が確立されます。 視覚障害教育の対象として、徐々に弱視の子どもたちを加えてきました。幼児教育や大学進学が盛んになるのは戦後です。国際障害者年前後から教育的インクルージョンも広がり、就学先の決定に保護者の要望が反映されるようになってきました。視覚に加えて聴覚、肢体、知的方面などの障害を併せ有する子どもたちに対する教育の歩みも60年を超えます。 新自由主義思潮を背景に、国の障害児教育施策が「特殊教育」から「特別支援教育」に変わりました。それは、学習障害や高機能自閉症などを特別なニーズ教育の対象に加えるとともに、既存の盲・聾・養護学校を「特別支援学校」に再編し、通常校に在籍する「特別なニーズを持つ子ら」への支援も行わせようとするものでした。一部では、視覚障害と他の障害種との再併置も行われました。この新しい状況に対応して、障害への専門的な支援を行う力量を担保する工夫が求められています。文部科学省の統計などによれば、2020年6月時点での「盲学校」数は国公私立を合わせて67校です。 ここまでの内容を略年表にまとめておきます。 1693年杉山流鍼治導引稽古所の開設(本所一ツ目弁財天社内) 1784年パリ訓盲院創設 1825年ルイ・ブライユが6点点字を考案 1871年明治政府が盲人の職能団体・当道座を廃止 1872年学制発布(廃人学校) 1878年京都盲啞院の開業 1880年楽善会(らくぜんかい)訓盲院の開業 1890年日本点字の翻案・制定 1906年点字新聞『あけぼの』創刊、日本盲人会設立、文部大臣に対して「盲・啞分離、義務教育化」の上申 1922年点字新聞『点字大阪毎日』の創刊 1923年盲学校及聾啞学校令発布 1925年衆議院議員選挙法で点字投票を公認 1933年東京の南山小学校に弱視学級を設置 1940年全国盲人大会を開催 1948年教育基本法・学校教育法の制定による「盲・聾分離と義務教育制度」の実施 1979年養護学校義務化の実施 2007年特別支援教育制度への移行 教育の進歩が視覚障害者の発達を支え、点字の獲得が成長発達と社会参加の基盤となり、当事者のつながりや運動、出版活動などの広がりをもたらしてきました。本書を通して、時代にコミットし、社会に参画しようと、懸命に歴史を生き抜いてきた視覚障害者たちの「ダイナミックな熱気」に触れていただければ幸いです。キーワードは、「人間の尊厳」をどう実現するかでした。 <目次 ここから> はじめに 1 凸字から点字へ 1 凸字(とつじ)版『小学生徒心得』 2 点字の背景 3 点字事始め 4 「点字」という日本語 5 中村望斎(もちまさ) 6 国産点字器 7 古い点字 8 点字郵便制度 9 点字出版 10 左近允孝之進(さこんじょうこうのしん) 11 江戸川乱歩(えどがわらんぽ)「二銭銅貨」の点字 2 京都盲啞院の形成 12 古河太四郎(たしろう)の挫折 13 遠山憲美 14 普通教育と職業教育 15 半井緑(なからいみどり) 16 スクール人力車 17 名刺は語る 18 京都盲啞院探訪マップ 19 室田有(むろたたもつ) 3 盲教育の実相 20 盲教育のあけぼの 21 覚(さと)り方(かた) 22 何を教えるか 23 体育 24 盲児向けの雑誌 25 半盲・弱視 26 重複(ちょうふく)教育 27 給食・舎食 28 修学旅行 29 杉江泰一郎(たいいちろう) 30 盲学校・点字の歌 31 似通った校歌 32 研究誌 4 各地の盲学校 33 大阪摸範(もはん)盲啞学校 34 楽善会(らくぜんかい)官立化へ 35 雨宮中平(あめみやちゅうへい)史料 36 高津柏樹(たかつはくじゅ) 37 高田(たかだ)盲学校 38 横浜物語 39 横浜訓盲院 40 次々と生まれる学校 41 知られざる足跡 42 消えた盲学校 43 九州と京都 44 高知盲啞学校 45 秋田県立盲学校 5 運動・組織・媒体 46 はばたく第1世代 47 同窓会 48 3校長建議 49 京都市立盲啞院篤交会(とくこうかい)・同窓会 50 青年盲人たちによる点字雑誌 51 中村京太郎と『あけぼの』 52 点字投票 53 点字公認運動 54 岡山の盲人青年覚醒会 55 白杖(はくじょう)安全デー 6 盲教育の開拓者たち 56 嶋田秀鱗 57 野村宗四郎(そうしろう) 58 南雲(なぐも)総次郎・佐土原(さどばる)すゑ 59 光村弥兵衛 60 小林如雲(じょうん)ら 61 小林富次郎 62 天橋(てんきょう)義塾―自由民権運動と盲啞教育 ① 63 楠瀬喜多(くすのせきた)―自由民権運動と盲啞教育 ② 64 平塚盲学校―自由民権運動と盲啞教育 ③ 65 小西信八(のぶはち)追悼本 66 猪田(いのだ)すて 67 鳥居嘉三郎(かさぶろう) 68 斎藤百合 69 福田与志(よし)など女性たち 7 世界から/世界へ 70 ロシア皇太子ニコライ 71 諸外国の知見 72 ドイツからの点字ハガキ 73 好本督(よしもとただす) 74 ワシリー・エロシェンコと鳥居篤治郎(とくじろう) 75 田守(たもり)吉弘 76 ドゥードゥル 77 パリセミナー 8 盲史の手ざわり 78 雨宮(あめみや)史料は語る 79 東北地域に盲教育史を探して 80 移転と資料 81 映画フィルム 82 先人たちの伝記集 83 足跡を子どもたちに 84 私立大阪訓盲院から「大阪北」校へ 85 視覚障害教育史を磨くために 86 凹字(おうじ)・凸字(とつじ)から点字へ 87 丹羽善次(にわぜんじ) 9 盲文化の彩り 88 関根熊吉(せきねくまきち) 89 『盲人之友』 90 盲導犬 91 盲人野球 92 盲目の棋士たち 93 寄席芸人 10 いのちと安全 94 災害と盲啞教育 95 日本盲人号余話 96 学童集団疎開 97 日刊点字新聞もあった! 98 長崎の多比良(たひら)義雄校長の思い 99 71年目の新事実 100 福祉の歴史 典拠史料、引用・参考文献一覧 お わ り に 索引(人名・盲学校など教育機関・その他事項) <目次 ここまで> 凡例 ・引用史料・書名の旧漢字は原則として新漢字に改め、適宜ルビを付した。 ・点字史料については、墨字訳して示した。 ・本文中に〔*1〕のように示した箇所は、章末の「典拠史料、引用・参考文献」の番号を表す。 ・本文中に【源流80頁】のように示した箇所は、岸博実著『視覚障害教育の源流をたどる京都盲啞院モノがたり』(明石書店、2019年)に写真や詳細な説明を掲載している頁を表す。 <本文 ここから> <中みだし>11 江戸川乱歩(えどがわらんぽ)「二銭銅貨」の点字 <小みだし>江戸川乱歩の誤り 江戸川乱歩の推理小説「二銭銅貨」〔*1〕に出てきた点字表記に誤りがあったことは、知る人ぞ知る話です。ここで書くとネタばらしになるのですが、インターネットなどで公然のことなのでお許しください。 このことを調べるきっかけは、三上延(みかみえん)氏の人気作『ビブリア古書堂の事件手帖』の第4巻〔*2〕を読んだことでした。そこには「(乱歩が)拗音の点字記号を間違えていたのです。戦後、桃源社版の全集でようやく訂正されました」と書かれていました。 三上氏の指摘を確かめるべく、私は「二銭銅貨」の掲載されたハードカバーの本や文庫本28冊を集めました(写真)。驚くことに、元の誤りがそのままになっているケースが少なくありませんでした。また、間違い方にバリエーションがあることも分かりました。比較的、新しく刊行されたものでも誤りが受け継がれている場合があります。なぜこんなことになったのでしょうか? まず、乱歩は何を間違ったのか。それは、点字で「しょ」と書くところを、「し」・「4の点」・「よ」の順に並べて表したことでした。正しくは「拗音符」・「そ」で表すべきところなのですが、乱歩は拗音符の使い方を誤解していたようです。 この作品の初出は、1923(大正12)年の『新青年』4月増大号でした。乱歩にとっては処女作にあたる短編でしたが、「日本最初の本格探偵小説」と評されました。人気も高く、増刷、改版が相次ぎました。 「二銭銅貨」の登場人物が「俺は点字について詳しくは知らなかったが、六つの点の組合せということ丈(だ)けは記憶していた。そこで、早速按摩を呼んで来て伝授に与(あずか)った」と語るシーンがあります。これが乱歩の実体験に基づいたものか、創作かは分かりませんが、このあん摩の教え方が不徹底だったか、乱歩の点字に対する理解が不十分だったことが考えられます。 <小みだし>出版界は点字への理解と敬意を! 入手した28冊について、点字表記の一覧を以下に記します。詳述するスペースはありませんので、あくまでも「私が任意に集めた範囲で、分類して数えたおよその傾向」です。ですが、これだけの冊数を統計した例は他になさそうです。 (1)点字表記が正しかったもの(「拗音符」・「そ」)は28冊中6冊。 (2)残り22冊を点字表記の違いから、次の①から④に分類しました。 ・ パターン①は「し」・「4の点」・「よ」。これが17件。 ・パターン②は「し」・「よ」としたもので、2件。 ・ パターン③は、点字の「し」・「よ」の表裏を反転させたもので、1件。この場合の点字の表記は、「と」・「き」を並べた形になります。 ・ パターン④は、「と」・「え」が並んだもので2件。「し」・「よ」の表裏の反転に加えて、別の表記ミスも組み合わさっています。 大正から平成にかけて刊行された28冊のうち、拗音符を正しく用いたものは6件しかないことに驚かされます。誤った点字表記のうち、パターン①のものは、初出の『新青年』以降、これを底本とした新刊本に繰り返し引き継がれています。作者だけでなく、編集担当者も出版社も、点字表記への注意を欠いたと指摘せざるをえません。点字関係者も、この状況を放置してしまったことが問われます。 1961(昭和36)年発行の桃源社版『江戸川乱歩全集』のあとがきで乱歩は「点字の誤りを認めて訂正した」と明かしています。それでもその後も、誤った表記をそのままにした出版が続けられた背景には、版権の尊重という重たいルールがあるようです。 それが容易に越えられないハードルならば、せめて、編集者注のような形で、正しい点字表記を紹介してほしいと願います。電子書籍「キンドル」(Kindle)版の「二銭銅貨」も1960(昭和35)年版を底本にしているため、乱歩の遺志に反して誤った点字表記になっていました。 1971年に児童向けとして出版された『少年探偵37暗黒星』にも「二銭銅貨」が掲載されています。探偵の役は「明智小五郎が、まだ学生だった」頃と設定されていますが、点字が謎解きのキーになるのは原作と同じです。そこでの点字は、『新青年』と同じパターン①の誤りに加えて、「き」と書くべきところが「は」になっています。全くいただけません。インターネットの情報システム「サピエ」〔*3〕に掲載されている点字データの「えどがわらんぽけっさくせん」では、拗音符を用いて、正しい形で記されていました。 点字郵便の項(8章参照)で、明治期の逓信(ていしん)省が盲人用凸字(とつじ)紙を「印刷物と見做し」たと紹介しましたが、実は、公職選挙法の上で、点字は未だに「文字とみなす」という扱われ方です(52章参照)。「点字は文字だ」と強く主張し、出版界にも「点字への理解と敬意を!」と切望せずにはいられません。 <写真|「二銭銅貨」が掲載された図書の数々(岸博実所蔵)> <中みだし>69 福田与志(よし)など女性たち <小みだし>福田与志に対する献辞 島根県立盲学校、同松江ろう学校の前身、私立松江盲啞学校は1905(明治38)年に開校しました。創立関係者として、福田平治・与志兄妹や山本茂樹の名が挙げられます。与志は、学校づくりに先立って盲啞教育を学ぶため、京都市立盲啞院に赴き、鳥居嘉三郎(かさぶろう)院長のもとで修業しました。往復書簡も保存されています。小学校の職を辞め、京都に着いたのは1899(昭和32)年ですが、その前にも入洛しています。97(同30)年の京都市立盲啞院の日注簿に、次の記述が見られます〔*1〕。 六月十七日島根県八束郡本庄村尋常高等小学校訓導福田ヨシ氏盲啞教育研究ノ為メ来院セラレタリ但八月中滞京取調ラルヽ予定ノ由 与志は寄宿舎に寝泊まりし、昼夜わかたず生徒と触れ合って、自らの基礎を固めます。98(同31)年には、盲啞院で行われたグラハム・ベルの講演を聴きました。「権利としての教育」の考え方、米国における盲・ろう分離の進み様に胸を躍らせたことでしょう。記念写真に与志も収まっています。「色の黒い田舎娘」として都大路に現れた与志は、着実に自分を磨いていきます〔*2〕。 その後、1900(同33)年には東京盲啞学校に移り、小西信八(のぶはち)が欧米で見聞してきた知識や伊澤修二の視話法を吸収しました。そして翌年、京都に戻って来ると、渡辺平之甫(へいのすけ)とともに「聾啞教育の双璧」とたたえられる実力を備えるに至ります。 京都府立盲学校資料室が所蔵する与志に関する史料のなかに「聾啞視話学級福田ヨシの授業」と題した写真があります(写真)。03(同36)年に撮影されたと見られるこの1枚は、盲啞院の誇りとして選ばれたシーンだったと思われます。後にろう啞者運動のリーダーとなる藤本敏文や三島邦三をここで育てました。故郷に戻ってからの業績と喜び、その哀しい最期については『福田与志伝』〔*3〕、『故福田女史回想録』〔*4〕や諸研究にすべて譲り、ここではオマージュとして一つだけ述べておきます。 それは、彼女が学校開業までに8年もの準備期間を持ったことです。教員の異動が慌ただし過ぎる現況に照らせば、なんと腰の据わった人事であったか!今こそ、与志の誠実な姿勢に学びたいものです。それを支える教育行政でもあってほしい。 <小みだし>創立者・実践家たち 1889(同22)年、横浜に盲人福音会を起こし、95(同28)年には函館訓盲会を設立した米国人、シャーロッテ・P・ドレーパーも偉大でした〔*5〕。ドレーパーの亡くなった後、函館訓盲院長に就任したワドマン夫人の写真が107年ぶりにみつかったと、函館聾学校のウェブサイトに発表されています〔*6〕。近年、史実を掘り起こそうとする動きが広がっていることを頼もしく感じます。 南雲(なぐも)総次郎が中軸となり、初代院長に就いた鹿児島慈恵盲啞学院は、1903(同36)年に創立されました〔*7〕。京都市立盲啞院を卒業した啞生の伊集院キクが聾啞部の指導を担当しました。キクは当時27歳。佐土原(さどばる)聾啞学校(佐土原学院とも)でろう啞教育に従事していたのを引き抜かれたかたちです(58章参照)。初任給は5円。物品販売や慈善事業によって経営費を工面する草創期の困難をくぐりました。同様に、京都市立盲啞院を卒業した盲生の上田ツナは、19(同43)年創立の鳥取盲啞学校に招かれて盲部教員になりました〔*8〕。寺院を寄宿舎にあて、ツナの母親がその世話にあたったそうです。当時の盲啞学校には、公的な施策の乏しさを家族ぐるみの辛苦でカバーすることを余儀なくされた例が少なくありません。 1904(同37)年に初の触地図「内国地図」を亜鉛版に打ち出し、14(大正3)年には辞書『言海』の膨大な点訳を成し遂げた東京盲学校訓導(くんどう)の高岡ミツの足跡ももっと知られてほしいと願います〔*9〕。ミツの旧姓は大森。高田訓矇学校長、大森隆碩(りゅうせき)の次女です(37章参照)。 03(明治36)年に東海訓盲院を卒業した小杉あさは、母校の助教を経て、東京盲啞学校教員練習科で教員資格を取得します〔*10〕。晴れて静岡に戻り、盲・啞分離のために文部省に乗り込んで直談判したりしました。物おじせず、りりしく闘った女性です。彼女については、美尾浩子著『六枚の肖像画』に、近代を拓いた人としての、そのパワフルな行動が描かれています〔*11〕。 名古屋に私立盲学校を興した長岡重孝(9章参照)の妻・タミ(旧姓 河端(こうばた))は、重孝の死後、07(同40)年から28(昭和3)年までの長きにわたって故郷新潟の高田盲学校で音楽教師として働きました〔*12〕。 <写真|福田与志の授業写真(京都府立盲学校資料室所蔵)> <写真|長岡タミ肖像写真(『高田盲学校人物誌』より)> <大みだし>8 盲史の手ざわり <中みだし>78 雨宮(あめみや)史料は語る 雨宮中平(ちゅうへい)は、楽善会(らくぜんかい)訓盲啞院の事務職員でした。明治10年代後半、同会が経営難のため訓盲啞院の運営を国へと移管する頃、山尾庸三(ようぞう)会長のもとで実務を担いました。 雨宮が所蔵していた二十数点の史料には、盲教育史研究上、希少な情報が含まれます。思いがけず入手できたので、その写しを訓盲啞院を後継する筑波大学附属視覚特別支援学校に贈りました(35章参照)。 「雨宮史料」から、1885(明治18)年の訓盲啞院の保有財産が記されたものなどを紹介しましょう。 <小みだし>『東京盲学校六十年史』とは異なる表記も まず、注目したいのは文部大臣大木喬任(たかとう)宛ての「直轄願」です(写真)。全文は、『東京盲学校六十年史』や中野善達、加藤康昭の『わが国特殊教育の成立』に掲載されています。後者は漢字表記を変えた以外は、前者のものをそのまま引用しています。 なぜ、そう断っておくか。実は、これらに見られる「直轄願」には、文意が分かりにくい箇所があるからです。楽善会の建物や資本金などを文部省に委譲する旨を表明したくだりに「別紙取調書之品ニ御引上ゲ」とあるのですが、文脈上、助詞の「ニ」がしっくりしません。一方、雨宮史料では、次のように書かれています。「別紙取調書之品〻御引上ケ」。これなら、「別紙の品々を文部省に引き取り」という意味になり、この後に続く「御省直轄ノ盲啞教場ニ御定メ」へと、文章がスッキリとつながります。『六十年史』では、踊り字(〻)と助詞の「二」を、形が似ているために取り違えたのかもしれません。 なお、雨宮史料によると、その書類には、標題として「私設訓盲啞院御直轄願」(写真)と書かれています。「私設訓盲啞院御」の7字は、『六十年史』にはなく、後者の表題は「直轄願」の3字のみです。これ以外にも、雨宮史料と『六十年史』では、文字表記の異なる箇所があります。どんな経緯でそうなったのか、さらなる史料の発掘によって、より詳らかになる日が待たれます。 楽善会の財政状況を物語る史料 ともあれ、その願書が提出されたのは、85(同18)年10月。雨宮史料がとても貴重な史料であるのは、その直前の同会の保有財産が記されているからです。「明治十八年九月三十日現在調」と題する書類から、一部を抄出してみます。それぞれの項目の内訳は省きます。 一金千四百拾五円三拾五銭五厘(但書略) (中略) 一壱割利付金禄公債証書拾七枚此額面金千四百弐拾円(内訳略) 一日本鉄道株券八枚此券面金壱万千六百五拾円(内訳略) (中略) 一訓盲啞院并附属建物一式担廉面図面之通リ 一院中備品一式但追テ明細帳調整て差出分 一教授用器具一式但同断 一消耗品一式但同断 当時、同会がどれほどの現金を保有していたか分かり、学校経営のために公債や株の運用も行っていたことが読み取れます。これらの数字は『六十年史』には見当たりません。断言はできませんが、これが「直轄願」の文中に出てくる「別紙取調書」の素材であったと推し量れます。もっとも「一式」というのはあまりに漠然としており、細目が付け加えられたかもしれません。 また雨宮史料には同会初期の年報類が含まれています。84(同17)年の金利所得、受け入れた慈恵金の額などが記されています。さらに85(同18)年の学資納入状況や教職員の出勤日数一覧、年末に文部省から届いた「新年の虚礼」を省く旨の通知文などもあります。86(同19)年1月22日付の日記に「木材請求凸字(とつじ)木刻製造致ベシ」とあり、点字導入以前の教材調達の様子も垣間見えます。 雨宮の名は『六十年史』にも登場しますし、所蔵印も押されていて、この史料価値は信頼できます。雨宮文書は、網羅的・体系的とは言えないものの、国の直轄運営へと移管する前後の動きについて、これまで不明だった部分を肉付けするものと言えるでしょう。 筆者は、雨宮の子孫にあたる方と連絡を取り、2014年9月に、雨宮家の菩提寺である東京・浅草の長遠寺を訪ねました。お孫さんと共にお墓参りをさせていただきました(写真)。 雨宮中平とは、どんな人だったのか。どういったつながりで楽善会に採用されたのか。また、同校の官立後、どんな働きをしたか。祖先には江戸末期に韮山(にらやま)で活躍した兵学家・江川太郎左衛門との縁もあるそうで〔*1〕、知るほどに興味深い人物です。 <写真|「私設訓盲啞院御直轄願」(雨宮史料、岸博実所蔵)> <写真|雨宮家の墓碑> <本文 ここまで> <典拠史料、引用・参考文献一覧 ここから> ※重要文化財「京都盲啞院関係資料」については、 京盲資料〈文書・記録類〉139 のように、資料名の前に重要文化財指定時の分類と番号を示した 【全般的な参考文献】 丸川仁夫『日本盲啞教育史』京都市立盲学校・京都市立聾啞学校同窓会、1929年 盲聾教育開学百周年記念事業実行委員会編集部会編『京都府盲聾教育百年史』盲聾教育開学百周年記念事業実行委員会、1978年 岡本稲丸『近代盲聾教育の成立と発展:古河太四郎の生涯から』日本放送出版協会、1997年 大河原欽吾『点字発達史』培風館、1937年 文部省『盲聾教育八十年史』同、1958年 中野善達・加藤康昭『わが国特殊教育の成立』東峰書店、1967年 鈴木力二編著『図説盲教育史事典』日本図書センター、1985年 下田知江『盲界事始め』あづさ書店、1991年 古賀副武「千載一遇の年に」(日本点字図書館第49回 随筆随想コンクール 優秀作品)、2009年 木下知威『盲・聾の空間:京都盲啞院の形成過程』(横浜国立大学博士学位授与論文)2010年 森田昭二『盲人福祉の歴史』明石書店、2015年 点字雑誌『むつぼしのひかり』データ化・研究プロジェクト編『むつぼしのひかり墨字訳』桜雲会点字出版部、2016年~ 中村満紀男編著『日本障害児教育史戦前編』明石書店、2018年 【関連拙稿】 「盲啞院時代の教材・教具を活かした文字指導」『京都府立盲学校創立130周年記念実践記録集』京都府立盲学校、2009年 「盲・聾分離をめざした苦闘・90年」第84回全日本盲学校教育研究大会研究発表『視覚障害教育の今後を考えるための史資料集』、2009年 「伝えてみたい、「専門性」につながる言葉たち」全日本盲学校教育研究会事務局編『視覚障害教育』第108号、全日本盲学校教育研究会、2010年 「盲学校における点字教育の過去・現在・未来」広瀬浩二郎編『万人のための点字力入門―さわる文字から、さわる文化へ』生活書院、2010年 『ぼっちゃんの夢―とりい・とくじろう物語』私家本、2013年 「日本盲教育の独自性と普遍性」(国際セミナー「Histoire de la cécité et des aveugles」)2013年 「教育権の獲得をめざした盲〈ろう〉教育の分離・義務化運動」二通諭・藤本文朗編『障害児の教育権保障と教育実践の課題:養護学校義務制実施に向けた取り組みに学びながら』群青社、2014年 「京都府立盲学校資料室」学校・施設アーカイブズ研究会編著『学校・施設アーカイブズ入門』大空社、2015年 「日本における「盲人と芸術」の歴史―記憶する力と触る力―」(国際シンポジウム「Blind Creations Conference in London」)2015年 『視覚障害教育の源流をたどる京都盲啞院モノがたり』明石書店、2019年 ❶–1 凸字版『小学生徒心得』 1 東京盲学校編『東京盲学校六十年史』同、1935年 2 『小学生徒心得』師範学校、1873年 3 『学校読本小学生徒心得』東京府、1878年 4 海後宗臣ほか編『日本教科書大系 近代編 第3巻 修身(3)』講談社、1962年 ❶–2 点字の背景 1岡田摂蔵『航西小記』1866年 2目賀田種太郎「監督雑報第十三号」文部省『教育雑誌』第89号、1879年 3Thomas. R. Armitage『The Education and Employment of the Blind』〔盲人の教育と職業〕HARRISON & SONS 、1871年 4前島密「漢字御廃止之議」1866年 5明六社『明六雑誌』第1号、1874年 6ジェームス・カーティス・ヘボン、岸田吟香『和英語林集成』1867年 7小西信八編、前島密『前島密君国字国文改良建議書』1899年 8自治館編輯局編『明治文豪硯海録』文明堂、1902年 ❶–3 点字事始め 1『小学校国語四年上かがやき』光村図書出版、2017年 2東京盲学校編『東京盲学校六十年史』同、1935年 3小西信八「石川君日本訓盲字翻案廿五年祝賀式演説」小西信八先生存稿刊行会編『小西信八先生存稿集』同、1935年 4Thomas. R. Armitage『The Education and Employment of the Blind』〔盲人の教育と職業〕HARRISON & SONS 、1871年 5木下知威「点字以前18-19世紀の日本における盲人の身体と文字表記技術の交差」津山洋学資料館『一滴』第26号、2019年 6https://books.google.co.jp/books?id=VokBAAAAQAAJ ❶–4 「点字」という日本語 1教育博物館『教育博物館案内上』同、1881年 2小林小太郎ほか訳『教育辞林』文部省編纂局、1880年 3小西信八「石川君日本訓盲字翻案廿五年祝賀式演説」小西信八先生存稿刊行会編『小西信八先生存稿集』同、1935年 ❶–5 中村望斎 1京盲資料〈凸字・点字資料〉145「『ブレーユ伝』点字印刷原板」 2「生徒学業進否ノ状況」(京盲資料〈文書・記録類〉139「明治二十五年学事年報」に所収) 3京盲資料〈文書・記録類〉301「明治三十六年九月盲生教授用点字印刷器械寄附簿」 4小林卯三郎「中村望斎先生を語る」京都府立盲学校『語り告ぎ言ひ継ぎ往かむ―わが学び舎九十年の歩み―』京都府立盲学校、1968年 <典拠史料、引用・参考文献一覧 ここまで> <索引 ここから> ■凡例 ・盲教育に関連する人名、盲学校・聾学校を中心とした教育機関、その他事項について、出現する章番号を示した ・事項は、盲教育・視覚障害関連の団体・企業、点字雑誌・点字新聞、盲教育関連記事を掲載した媒体を中心に採った ・40章の盲学校の列挙は索引には採っていない ・京都盲啞院から京都府立盲学校にいたる学校、東京盲啞学校・東京盲学校は採っていない 【人名】 項目名 章 あ 阿炳 93 T・R・アーミテージ 2, 3 相沢元庭 41 相場重一郎 45 ヴァランタン・アウイ 30, 77 青柳猛 71 青山武一郎 48 明石覚一(検校) 54, 89 秋葉馬治 25, 29, 32, 34, 65, 75 秋元梅吉 50, 51, 74 秋山博 64 阿久津淺吉 50 阿佐博 3, 54, 97 淺水璡太郎(十明) 38 浅山郁次郎 25 雨宮中平 22, 35, 78 有馬四郎助 38 粟津キヨ 68 安中ジウ 43 安中半三郎 43, 57 飯島静謙 41 幾山栄福 46 伊澤修二 17, 26, 69, 71 石井十次 60, 61 石川倉次… 2~8, 12, 30, 35~37, 47, 48, 57, 65, 71, 76, 85, 88, 97 石川二三造 56, 82, 92 石田検校 92 石松量蔵 24, 49 石本友益 92 伊集院キク 43, 58, 69 板垣退助 62, 63 市川信夫 37 市村壮雄一 42 伊津野満仁太 43 伊藤照美 38 伊藤博文夫人 64 伊藤文吉 89, 36 犬塚竹次 43 猪田すて 66 猪俣道之輔 64 今関秀雄 32, 65, 95 今村幾太 39 今村信雄 93 色川武大 93 岩倉具定 20, 48 岩橋英行 87 岩橋武夫 29, 54, 71, 84, 87, 90, 95 植木枝盛 44 上田正当 5 上田ツナ 66, 69 上田常雄都 44 上野弥一郎 7 宇田三郎 88 内村鑑三 54 宇都宮三郎 1 宇藤栄 63 梅謙次郎 50 江川太郎左衛門 78 江戸川乱歩 11 榎本武揚 12 海老名弾正 61 ワシリー・エロシェンコ 71, 74 及川静 22 大石松二郎 41 大内青巒 14, 33, 34, 36, 41, 89 大河原欽吾 19, 39 大木喬任 78 大久保利武 100 大隈重信 10 大沢秀雄 8 大島健甫 59 大畑哲 64 大前ナヲ 33 大前博厚 33 大森隆碩 37, 69 岡藤園 19, 46, 65 岡田攝蔵 2 岡本稲丸 85 岡本和明 93 岡本駒太郎 23, 73 岡本文弥 93 小川源助 68 奥村三策 2, 46, 54, 57, 89 尾崎行雄 52 尾関彦人 52 小野兼次郎 51 小野田範司 43 折居松太郎 79 か 賀川豊彦 87 片山昇 65 桂太郎 53 桂福点 93 葛山覃 54 加藤康昭 4, 33, 41, 78 鎌田榮八 38 河相洌 90 川野楠己 82 川原直治 65 川村直温 35 川本宇之介 25, 65 菊島和子 56 菊池俊諦 45 岸田吟香 2, 38 岸高丈夫 71, 81, 85 北野与一 91 北原白秋 24, 30 木戸幸一 64 木下知威 3 木下和三郎 75 木村福 97 木村松之介 46 木村柳太郎 50, 97 日下宋次郎 15 日柳燕石 33 日栁政愬(三舟) 33, 60 楠瀬喜多 63 久保田万太郎 93 熊谷実弥 41 熊谷鉄太郎 54 熊谷伝兵衛 15, 18, 81 公文豪 44 サイラス・A・クラーク 43 栗原亮一 89 桑田鶴吉 53 ヘレン・ケラー 19, 26, 50, 71, 84 上瀧安正 50 古賀副武 10, 50 小崎弘道 41, 56 小杉あさ 69 五代音吉 33 五代五兵衛 33, 84 児玉兌三郎 46 後藤静香 50 小西信八 2~4, 6~8, 26, 27, 30, 31, 33~38, 40, 45, 48, 57, 58, 65, 67, 69, 71, 72, 88, 89, 97 小西よしよ 65 小林卯三郎 5, 24, 50, 51, 66 小林一弘 25 小林小太郎 4 小林如雲 59, 60, 61 小林新吉 2, 36, 37 小林富次郎 60, 61 小松原英太郎 53 小室信介 62 小柳美三 25 小山作之助 31 小山荘太郎 85 近藤煥一 25 さ 西園寺公望 64 佐伯理一郎 17 斎藤武弥 65, 68 斎藤百合 50, 54, 68 佐江衆一 26 佐久間丑雄 62 佐久間庸軒 88 桜井忠温 90 櫻田朋子 55 左近允孝之進…… 9, 10, 27, 47, 50, 60, 61, 73, 84 左近允マスエ 10 佐土原すゑ 43, 58 人康親王 18 佐野晃 96 猿田恵子 39 澤田慶治 68 沢登祇往 94 三遊亭圓生(六代目) 93 志岐與市 50 篠田利英 71 柴四郎(東海散士) 82 柴内魁三 45 渋沢栄一 100 嶋田秀鱗 56 島田俊平 85, 99 島津源蔵(初代) 6, 18 清水キミ 7 清水徳造 64 下田知江 65 笑福亭伯鶴 93 進和枝 21 杉亨二 53 杉浦良能 35 杉江泰一郎 29, 84 杉本直形 37 杉山和一 28, 54, 77, 82, 92 鈴木需 62 鈴木米次郎 29, 30 鈴木力二 6, 13, 75, 88, 90 サミュエル・スマイルズ 71 住谷悦治 63 関澄伯理 92 関根熊吉 88 関本健治 43 蝉丸 18 副島種臣 89 た 高岡清次 53 高岡(大森)ミツ 37, 53, 69 高木慎之介 38 高木半 33 高木正年 53 高津柏樹 3, 33~36 高橋福治 43 高橋實 82 滝録松 6, 7 武井イネ 39 竹内玄々一 89 竹下義樹 14 田崎千勝 42 伊達時 64 田辺尚雄 29 谷合侑 82 谷口富次郎 8, 15, 46, 47, 57 谷本富 71 多比良義雄 98 田守吉弘 75 千坂高雅 45 千野良泉 50 千葉勝太郎 62 津田梅子 71 津田仙 36 津曲裕次 82 邱大昕 19 手島精一 2~4, 12, 71 東海良興 68 東海散士 → 柴四郎 東郷平八郎 17 桃中軒雲右衛門 63 頭山満 63 遠山憲美 33, 13 戸川秋骨 36 徳永里朝 93 留岡幸助 38 鳥居いと 74 鳥居嘉三郎 5~8, 17~19, 23, 25, 33, 34, 40, 43, 46~48, 57, 65~67, 69, 72, 73, 81, 85 鳥居こう 67 鳥居篤治郎 18, 23, 24, 46, 50, 51, 54, 55, 66, 67, 71, 73, 74, 77, 81, 83, 85, 95 シャーロッテ・P・ドレーパー 39, 69 な 直邨典 4 永井昌彦 56 永井柳太郎 97 長石安治郎 57 中江義照 84, 98 中尾榮 5, 43, 47, 49, 57 長岡加藤治 68 長岡重孝 9, 69 長岡(河端)タミ 9, 69 長崎照義 52 中塩幸祐 82 中根榮 90 中野善達 4, 41, 78 中村秋香 31 中村京太郎 46, 50~52, 65, 73, 75, 90 仲村謙次 6 中村善太郎 5 中村双葉(生平) 29 中村時次郎(美穂) 94 中村満紀男 42 中村正直 2, 14, 36, 71 中村望斎 5, 6, 21, 49, 67 半井忠見(梧庵) 15 半井真澄 15, 81 半井緑 15, 20, 22, 46, 47, 83 南雲総次郎 43, 58, 65, 69 南雲ヤエ 58 新島襄 17, 18, 36, 56, 67, 82 新島八重 17, 18, 67 ニコライ 70 西田喜平 43 新渡戸稲造 100 丹羽善次 87 丹羽吉子 87 野地繁 28 野村岩見都 44 野村宗四郎(惣四郎) 43, 57 は 葉上太郎 90 橋本喜四郎 24 長谷川百太郎 9 長谷場純孝 53 塙保己一 54, 82, 84 濱田祐太郎 93 原田久美子 62 シャルル・バルビエ 77, 86 樋泉慶次郎 45 檜垣直右 45 引田秋生 94 樋口長市 25, 54 肥後基一 50 平方龍男 51 平野文之助 89 広沢安任 82 フールステンベルグ 72 ヘンリー・フォーセット 89 ミリセント・フォーセット 89 府川謙齋 89 福沢諭吉 4 福島智 91 福田与志 46, 66, 67, 69 富士松ぎん蝶 93 富士松紫朝 93 藤本敏文 46, 57, 65, 67, 69, 87 ルイ・ブライユ…… 2~5, 35, 36, 49, 57, 59, 77, 85, 86 古河太四郎 2~4, 6, 12~14, 16~20, 22, 23, 30, 33, 34, 40, 46, 48, 60, 62, 66, 67, 71, 73, 76, 81, 83, 84, 85, 88 古川龍斎 46 ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ 71 ヘボン 2, 37, 38 グラハム・ベル 17, 57, 69, 71, 72, 84 堀木文子 100 本間一夫 9, 54, 68 ま 松井繁 82 前島密 2, 8, 37 前園辰三郎 22 前園曻 22, 35 牧野伸顕 48, 67 槇村正直 6, 13, 15, 16, 45, 46, 81, 83, 92 益井茂平 83 町田則文…… 32, 42, 52, 53, 71, 74, 97 松崎天民 27 松下幸之助 33 松下政楠 33 松村精一郎 41 松本重太郎 33 松本操貞 89 松本秀三郎 62 眞中忠直 35 馬淵一夫 73 三浦浩 65 美尾浩子 69 三島邦三 46, 69 水野サダ子 13, 85 三谷復二郎 43 箕作秋坪 4 光村利藻 59 光村弥兵衛 59, 60 みのや雅彦 30 宮城道雄 46, 54 宮崎信夫 43 宮崎正木 43 宮沢栄晴 82 宮島茂次郎 29, 84 宮田寅治 64 ジョン・ミルトン 84 村上久吉 82 村上義忠 24 室井庄四郎 84 室田有 19, 81, 85 目賀田種太郎 2, 3, 4 アレキサンダー・メル 87 森有礼 4 森清克 43, 65 森巻耳 31, 83 森正隆 40, 45 森まゆみ 93 森恒太郎 53 森田昭二 73 や 八木銀次郎 46 夜舟生 89 安井直蔵 24 安田隆 85 八橋検校 54 柳家小せん(初代) 93 山尾庸三 1, 13, 34, 35, 41, 48, 60, 71, 78 山岡熊治 53 山川為次郎 20 山口菊次郎 15, 46, 83 山口善四郎 20, 46, 83 山田耕筰 30 山野井虎一 57 山村暮鳥 79 山本覚馬 17, 18, 82, 89 山本暁得 50 山村熊次郎 50 山本清一郎 66, 83 山本伝三郎(暁得) 43, 50 湯浅吉郎 30 D・H・ユスティス 90 吉井勇 68, 93 吉川金造 46, 47, 65 吉原千代 46 吉見英受 92 好本督 24, 46, 50, 51, 73 米林五七 41 わ 脇田良吉 26 和気清麻呂 18 和気広虫 15, 18 渡辺昇 33 渡辺平之甫 67, 69 ワチラーワット 17 ワドマン夫人 69 【盲学校など教育機関】 項目名 章 あ 会津盲学校 42 秋田県立視覚支援学校 45 秋田県立盲啞学校 45 秋田県立盲学校 39, 45 旭川盲啞学校 58, 65 旭川盲学校 58 旭川聾学校 58 足利盲学校 42 尼崎訓盲院 42 淡路訓盲院 42 石川県立盲学校 28, 50 茨城県立盲学校 42 磐城訓盲院 42, 79 岩手盲啞学校 45 上田市立盲学校 42 愛媛盲啞学校 28, 50 大分盲啞学校 43 大分盲学校 65 大阪訓盲院 28, 42, 84 大阪市立思斉国民学校 96 大阪市立聴覚特別支援学校 67 市立大阪盲啞学校 27 大阪市立盲啞学校 29, 61 大阪市立盲学校 10, 24, 28, 85, 96, 98 大阪府立大阪北視覚支援学校…… 17, 27, 29, 54, 84, 96, 97 大阪府立大阪南視覚支援学校 16 大阪府立盲学校 91 大阪盲啞院 30, 33 大阪摸範盲啞学校 13, 33, 34, 60, 84 岡山県立盲学校 28, 59 沖縄訓盲院 43 沖縄盲学校 28 か 誨盲学校(大分) 43 鹿児島県立鹿児島盲啞学校 58 鹿児島慈恵盲啞学院 43, 58, 69 鹿児島盲啞学校 43, 61 鹿児島聾啞学院 58 神奈川県立平塚盲学校 64 神奈川県立盲啞学校 64 金沢盲啞院 41, 45 樺太盲啞学校 42 木更津訓盲院 42 紀南盲啞学校 42 岐阜訓盲院 31, 47, 61 岐阜県立盲学校 83 岐阜盲学校 50, 68 京都府立盲学校舞鶴分校 62 京都府立聾学校 83 京都府立聾学校舞鶴分校 62 桐生訓盲院 42 熊谷盲学校 39 熊谷理療技術高等盲学校 39 熊本盲啞技芸学校 43 群馬県立盲啞学校 28 訓盲学校(大分) 43 訓盲学校(東京) 41 啓蒙学校(大分) 43 高知県立師範学校附属小学校盲啞部 63 高知県立盲啞学校 63, 96 高知県立盲学校 44, 63 高知県師範学校附属盲啞部 44 高知盲啞学校 44 神戸訓盲院 10, 27, 60, 61 神戸市立盲学校 79 神戸盲育院 60 光明学校 96 郡山訓盲学校 42 さ 榊原訓盲塾 29, 42 佐賀盲啞学校 43 佐賀盲学院 43 佐世保盲啞学校 42 札幌視覚支援学校 80 佐土原聾啞学校(佐土原学院) 42, 43, 58, 69 滋賀県立盲学校 83 島根県立盲学校 69 上海市盲童学校 28 白川学園 26 鍼治講習所 77, 92 鍼治揉按医術講習学校(横浜) 38 神都訓盲院 42 た 台南盲啞学校 19, 42 台北州立盲啞学校 75 台北盲啞学校 42 高田訓矇学校 37, 69 高田盲学校 37, 69, 77 高津学舎 36 千葉県立盲学校 9 朝鮮総督府済世院盲啞部 42 筑波大学附属視覚特別支援学校 1, 6, 9, 21, 35, 78 土浦盲学校 42 天橋義塾 62 天王寺盲学校 42, 50 東海訓盲院 69 東京同愛盲学校 42 東京聾啞学校 28, 34, 65 東北盲人学校 79 徳島県立盲啞学校 96 鳥取盲啞学校 69 富山県立盲学校 28 豊橋盲啞学校 46 豊橋盲学校 31 な 長岡盲啞学校 61 中郡盲人学校 42, 64 長崎県立盲学校 98 長崎県立聾啞学校 98 長崎盲啞院 43, 57 長崎盲啞学校 5, 50, 57, 61 長崎盲学校 28 名古屋市立盲啞学校 28, 75 名古屋盲学校 9, 54, 69 南山尋常小学校 25 は パーキンス盲学校(アメリカ) 7, 39 函館訓盲院 69 函館聾学校 69 八王子盲学校 28 パリ訓盲院 77 彦根盲学校 29, 90 日向訓盲院 43, 50 兵庫県立視覚特別支援学校 10 兵庫県立盲学校 65 広島県立中央特別支援学校 16 福岡県立福岡視覚特別支援学校 6 福岡県立柳河特別支援学校 30 福岡盲啞学校 43, 75 福島訓盲学院 50 福島訓盲学校 88 福島県立視覚支援学校 31 福島県立盲学校 88 福島県立福島盲学校 79 藤倉学園 96 舟見訓盲院 42 北盲学校 42 北海道札幌視覚支援学校 30 ま 松江盲啞学校 69 三重県立盲学校 16 宮城県立視覚支援学校 79 宮津盲啞学校 62, 94 明導館(秋田) 45 盲啞学校(佐賀) 43 盲啞教授所(佐賀) 43 盲導院(秋田) 45 や・ら・わ 柳河訓盲院 43 山梨訓盲院 94 山梨県立盲学校 94 山梨盲啞学校 42, 94 横須賀聾啞学校 75 横浜訓盲院 39, 91 横浜市立盲特別支援学校 16, 38 横浜根岸学校盲啞部(盲啞懲治場) 38 与謝の海養護学校 62 米沢盲学校 42 楽石社特殊教育部 26 楽善会訓盲啞院 1, 2, 7, 22, 35, 60, 78, 92 楽善会訓盲院 27, 34~36, 64, 89 稚内盲啞学院 58 【その他事項】 項目名 章 あ 『あかつき』 50 『あけぼの』(左近允孝之進) 9, 10, 47, 50 『あけぼの』(盲人基督信仰会) 50, 51, 73 『朝日新聞』 29, 59~61, 89 アメリカ盲人協会 75 「荒野の花」 68 宇部教会 75 英国盲人協会 3 英国盲人福祉会議 73 桜雲会 65, 68, 79, 95 大阪教育会 33 『大坂日報』 15, 20, 62 大阪毎日新聞慈善団 52 岡山県視覚障害者協会 54 岡山県盲人協会 54 か 『かがやき』 50 『覚醒』 54 『学友会誌』(長崎盲啞学校) 50 かなのかい 2 金目日本キリスト教会 64 『希望の星』 50 京都児童養護研究会 25 京都府視覚障害者福祉協会 55 京都府盲人協会 55 京都盲啞慈善会 57, 67 京都盲啞保護院 67 京都ライトハウス 18, 23, 55, 64, 74, 77, 83, 85 近畿盲教育会 25 『訓盲』 50 『訓盲雑誌』 89 『兼六の光』 50 護王神社 15, 18 『心の光』 50 さ 『西京新誌』 20 視覚障害者支援総合センター 56 島津製作所 6, 46 『指眼』 50 『信夫之睦』 50 『主婦之友』 68 『鍼灸マッサージ』 50 『信仰』 50 西部盲啞教育協議会 26 世界盲人社会事業会議 75 世界盲人連合 68 全国盲啞教育会 32 全国盲学校長会 26 全国盲学校同窓会連盟 47 全国聾啞大会 48, 72 仙台東六番丁教会 79 全日本盲学校教育研究会 32, 72, 84 た 多聞教会 60, 61 中央盲人福祉協会 29, 79, 90, 100 帝国盲教育会 25, 26, 32, 42, 43, 48, 52, 65, 84 『テルミ』 24 『点字倶楽部』 68 『点字雑誌めしひの友』 50 『てんじせかい(点字世界)』 47, 49, 50 『点字治療新報』 50 『点字通報』 9 『点字毎日』『点字大阪毎日』…… 7, 42, 44, 51, 52, 59, 65, 68, 73, 80, 84, 85, 91, 95, 97 『点字読売』 95, 97 東向会 89 同志社 17~19, 38, 41, 56 『東洋点字新聞』 75 『篤交会報』 47, 50 な 長崎慈善会 57 長崎婦人慈善会 43 仲村点字器製作所 6 名古屋ライトハウス愛盲報恩会 82 「二銭銅貨」 33 『日刊東洋点字新聞』 50, 97 『日新真事誌』 62 日本眼衛生協会 100 日本教職員組合特殊学校部 32 日本視覚障害者団体連合 16, 94 日本点字図書館…… 9, 56, 68, 79 日本特殊教育学会 79 日本盲啞学校教育会 32, 48 日本聾啞教育会 65 日本盲啞教育教員会 38 日本盲教育会 32 日本盲教育研究会 32 日本盲教育史研究会 9, 42, 68, 77, 79, 80 日本盲教育同志倶楽部 32 『日本盲人』 53 日本盲人会 46, 67, 71, 73 日本盲人会連合 16, 92 日本盲人協会 53 日本ライトハウス…… 29, 82, 84, 87, 90 日本聾史研究会 41 は 『ひかり』(『比可梨』『光』) 49, 54 『ヒカリノソノ(光の園)』 24, 50 『日出新聞』 70 『日の本』 50 福岡盲人協会 75 『ふそう新聞』 9 『仏眼』 50 平安教会 57, 67 伯林聾啞保護会 72 『ほしかげ(星影)』 47, 50, 54 『星乃友』 50 『星の花』 50 ま・や・ら 『毎日新聞』 97 『無碍光』 50 『むつぼしのひかり(六ツ星の光)』 9, 47, 50, 53, 54, 58, 65, 85 『むらさきの』 55 『盲教育』 50 盲教育研究会 32 『盲女子の友』 50 盲人医学協会 62 『盲人界』 50 盲人技術学校 50 盲人基督信仰会 24, 50, 51, 73 盲人青年覚醒会 54 『盲人世界』 47, 50 『盲人点字教科書』 84 『盲人之友』 89 盲人福音会 69 『盲生同窓会報告』 50 陽光会 68 『読売新聞』 20, 89, 92 楽善会 1, 2, 4, 13, 14, 20, 22, 27, 33~36, 38, 41, 71, 78 <索引 ここまで> <著者紹介 ここから> 岸博実 (きしひろみ) 1949年、島根県生まれ。広島大学教育学部卒業。京都府立盲学校教諭を経て、滋賀大学・関西学院大学・びわこ学院大学の非常勤講師を歴任。現在、京都府立盲学校・大阪府立大阪北視覚支援学校に勤務。2012年より日本盲教育史研究会事務局長を務める。 主要著書・論文に、『万人のための点字力入門』(共著、生活書院、2010年)、『障害児の教育権保障と教育実践の課題』(共著、群青社、2014年)、『学校・施設アーカイブズ入門』(共著、大空社、2015年)、「盲・聾分離をめざした苦闘・90年」(第84回全日本盲学校教育研究大会研究発表『視聴覚教育の今後を考えるための史資料集』2009年)、「日本盲教育の独自性と普遍性」(Histoire de La cécité et des aveugles, Fondation Singer-Polignac, 2013)、『視覚障害教育の源流をたどる京都盲啞院モノがたり』(明石書店、2019年)などがある。 <著者紹介 ここまで> ●テキストデータ提供のお知らせ 視覚障害、肢体不自由、発達障害などの理由で本書の文字へのアクセスが困難な方の利用に供する目的に限り、本書をご購入いただいた方に、本書のテキストデータを提供いたします。 ご希望の方は、必要事項を添えて、下のテキストデータ引換券を切り取って(コピー不可)、下記の住所までお送りください。 【必要事項】データの送付方法をご指定ください(メール添付またはCD-Rで送付) メール添付の場合、送付先メールアドレス・お名前をお知らせください。 CD-R送付の場合、送付先ご住所・お名前をお知らせいただき、200円切手を同封してください。 【引換券送付先】〒606-8233京都市左京区田中北春菜町26-21小さ子社 <奥付 ここから> もうきょういくしのてざわり ー「にんげんのそんげん」をもとめてー 盲教育史の手ざわり ―「人間の尊厳」を求めて― 2020年11月1日初版発行 著者岸博実 発行者原宏一 発行所合同会社小さ子社 〒606-8233 京都市左京区田中北春菜町26-21 電話 075-708-6834FAX 075-708-6839 E-mail info@chiisago.jphttps://www.chiisago.jp 装丁上野かおる(鷺草デザイン事務所) 点字印刷点字・触図工房B・J 印刷・製本亜細亜印刷株式会社 ISBN 978-4-909782-07-6 <奥付 ここまで>